女性が言う「オシャレは自分のため」を論破してみる

女性は美容や衣服など自分自身へ多額の投資をします。それらに男の意見として「男はこういう髪型の方が好きだ」など言ったもんなら「オシャレは自分のためにしていて、男どものためにしているわけじゃない」という手厳しい反論が返ってくる。

先日、美容業に携わる友人と食事をしている中で、そんな話になりました。美容業の方からすると、この女性の「オシャレは自分のため」は真っ赤な嘘であるというのです。

※ 僕自身がオシャレではないのも事実ですが、決してオシャレを批判しているわけではなく、その真理に迫りたいだけですので、オシャレ好きの人は気分を害さずに。

無人島に1人だったら美容なんて気にせず平気で屁をこくのが女

なるほどー!と圧倒的に納得のいく無人島話だったのです。話題が女性の話だったので「女」となっていますが、これは男も同様ですね。男はもっとひどい暮らしをしそうだけど。w

オシャレをしている人たちは「オシャレしたい」のではなく、あくまでも「オシャレな人だと思われたい」というのが本筋なわけです。

  1. 他人から褒められる
  2. 気分がよくなる
  3. オシャレをする
  4. 他人から褒められる
  5. ・・・

のエンドレスループですね。褒められるためにオシャレをする。

GENKING氏を始めとしたSNSでオシャレ写真を投稿する文化も極めて見て欲しい承認欲求が高いですよね。オシャレな人と思われることに私財をガンガン投下していくわけですが、それらは果たして消費なのか投資なのか、はたまたただの浪費なのか。。GENKING氏の場合は図らずも(?)投資になったわけですが。

マズローの示す承認欲求が今の時代の大多数が求めていることなのであろうか。

「オシャレ」でいないといけないという縛りにがんじがらめ?

オシャレに限ったことではないですが、一回「あの人はオシャレ」とかイメージがつくとそれを貫いていかないといけないのは大変ですよね。女性のメイクや髪型もそうかもしれませんが、毎朝メイクして髪の毛をセットして、服を選ぶのに数十分かけて、、、人から見られることに一生懸命な人生って大変そうだなと思ってしまいます。

他人のために生きるのが幸せであると個人的には考えていますが、オシャレな人を見たところで自分は幸せにならないので、僕にとっては違う生き方だなぁという気がします。

それよりも、自分を笑わせてくれる人の方が幸せをプレゼントしてくれているし、僕もそんな風に生きたいと思うのは大切にしているものが違うからなのだろうか。

女性はもしかしたらオシャレな他人を見ると幸せになる、という機能が備わっているのか、はたまた他人のために生きるという概念とは違うのか、、

男も女もオシャレすることの目的はなんなんだ?

自然界で言えば、オスがメスの気を引くために翼を広げるとかダンスを踊るとか色々な動物がいます。それらと照らし合わせれば男性がオシャレをして女性の気をひこうというのは理解できる気がする。人間界ではオシャレが本質ではないと思うのも同時にだけど。

女性が男性に好かれないようなオシャレをするのはなぜなんだろう。

  • 変な色をした髪色
  • 尖った不潔な爪
  • 奇妙に長いマツゲ

これらは奇妙にしか思えない。気持ちが悪いとも言える。僕が時代に取り残されているような気もするけど、しかし納得できない。こうやって時代に取り残されていくのでしょうか。

結論

女性の言う「オシャレは自分のため」は、先の無人島の話で論破しました。しかしその本質はどこにあるのか?なんのためにオシャレをしているのかについては理解不能でした。